テクノロジーの基礎

About Technology

service-428539_1280

 

テクノロジー(Technology)は、「特定の分野における知識の実用化」であったり、「科学的知識を個別領域における実際的目的のために工学的に応用する方法論」であったり、「道具や技巧についての知見を使い環境に適応したり制御する能力を高める方法」などとされています。

 

厳密な定義があるわけではなく、実際には様々な用いられ方をしています。

 

「テクノロジー」はギリシア語の technologíaからきており、「技巧」と「(何かを)学ぶこと」を意味する表現を組み合わせた語です。

 

人類のテクノロジーの使用は、自然界にあるものを単純な道具にすることから始まりました。先史時代には、火を扱う方法を発見することで食料の幅が広がったり、車輪の発明によって行動範囲が広がったため、環境を制御できるようになったそうです。

最近では、プリンター、インターネットの発明により世界的規模で自由に対話できるようになりましたが、テクノロジーが常に平和的目的で使われてきたわけではありません。

武器の開発は、人類の歴史とともに棍棒から核兵器へとその破壊力を増す方向に進んでいるのです。

 


テクノロジーは社会やその周囲に様々な形で影響を与えてきました。


多くの場合は、テクノロジーが経済発展に貢献して、有閑階級を生み出します。

また、テクノロジーは公害という好ましくない副産物も生み出すため、天然資源を消費し、地球とその環境に損害を与えています。テクノロジーは社会における価値観にも影響を与えており、新たなテクノロジーは新たな倫理的問題を生じさせています。効率=efficiencyという概念は機械に適用されるものでしたが、人間の効率性をも意味するようになってきています。

 

現在ではテクノロジーが人間性を向上させるかどうか、また、テクノロジーのもたらす害悪・危険について、様々な議論が行われています。ネオ・ラッダイトやアナキズムなどの運動は哲学的に、現代社会におけるテクノロジーの普遍性を批判したり環境を破壊するなど、人々を疎外するとしました。また、それ以降にも様々な人々からしばしば批判がおこっており、現実的な視点から全世界で反原子力運動は現在でも頻繁に行われています。

 

一方、トランスヒューマニズムなどの支持者は、テクノロジーの継続的進歩が社会や人間性にとって有益だと主張しています。アインシュタインは「科学技術の進歩というのは、病的犯罪者の手の中にある斧のようなものだ」とも述べています。

 

最近までテクノロジーの開発は人類のみが行えることだと信じられていましたが、他の霊長類や一部のイルカが単純な道具を作り、次の世代へとその知識を伝えていることが最近の研究で分かってきています。

「科学」「工学」「テクノロジー」の違い

About Technology

satellite-474892_1280

科学・テクノロジー・工学の区別は明確ではありません。

 

『科学』は現象を理性的に調査研究し、科学的方法などの定式化された技法を使って、持続性のある原理を発見しようとすることです。

 

『テクノロジー』は効用、ユーザビリティ、安全性といった面も考慮する必要があるため、単なる科学の応用ではありません。

 

『工学』は、自然現象を人間に役立つ形で利用して道具やシステムを設計することを目的としていて、科学の成果や技法を使うことも多くあります。実用的成果を達成するテクノロジーの開発には、科学、工学、数学、言語、歴史など様々な分野の知識を必要としています。

 

テクノロジーは科学と工学の成果と言われることがありますが、人間の活動としてのテクノロジーがその2つの分野に先行して存在するとも言えます。科学は既存の道具や知識を使い、新たに得られた知識を工学に応用して新たな道具や機械、または他の進んだテクノロジーの形態を生み出します。そういう意味で、科学者や工学者を合わせて科学技術者ともいいます。

 

科学とテクノロジーの正確な関係は、20世紀後半の科学者、歴史学者、政治家の議論の的にもなっています。その背景には研究資金を基礎科学と応用科学にどう分配するかという問題があります。この問題は今も議論が続いていますが、テクノロジーが科学研究の成果であるという単純なモデルには反対の立場のアナリストが多く存在しています。

テクノロジーの問題点

About Technology

matrix-434035_1280

 

テクノロジーは必ずしも人を幸せにするとは限りません。

人に不幸や災いをもたらす場合もあります。

 

例えば、テクノロジーは自然・環境破壊を引き起こすこともあります。

 

更には、テクノロジーが生み出す兵器について言うと、第二次世界大戦中に科学者によって開発された原子爆弾は、威力が通常の兵器と比較すると極端に大きく、人間を大量に無差別に殺戮する破壊兵器です。

 

冷戦時代にも東西の科学者たちが動員され、双方の陣営が大量の核兵器を保有しました。米国やソ連の元首の判断次第でボタンを押し、核戦争が勃発すれば結果、人類がほぼ全滅するだろうと専門家が予想するほどの状態にまでなりました。それが単なる想定にとどまらず、実際にあわや発射という状況になる事件が何度か発生し、世界中の人々が世界核戦争を十分に起こり得ることとして意識せざるを得なくなったのです。

オハイオ州の紹介/State of Ohaio

About Ohaio

cleveland-454067_1280

 

オハイオ州は1803年3月1日に、合衆国17番目の州に昇格した州で、 アメリカ合衆国中西部の北東に位置し、 北にミシガン州とエリー湖、東にペンシルベニア州、南はケンタッキー州とウェストバージニア州、西はインディアナ州に接しています。

 

『オハイオ』とは、インディアンのイロコイ族の言葉で、「美しい川」「偉大な川」という意味での『ohi-yo’』から派生したそうです。州名の由来については他にも異論があるようですが、昔から州内に自生するトチノキにちなんで “Buckeye State” と呼ばれており、州民も「バッカイ」と呼ばれています。

オハイオ州の歴史/History of Ohaio

About Ohaio

cleveland-69006_640

 

---インディアン時代---

 

オハイオ州の地域には紀元前13,000年頃に既に回遊性民族が住んでいたことがオハイオ・バレーの考古学調査によって示されています。 この回遊性民族は紀元前1000年までにオハイオから消えてしまいましたが、その文化は次代の人々の基盤となったようです。

 

紀元前1000年から800年には、定住性のアデナ文化が現れました。 アデナ文化は洗練された文化で、「1902年、チリコシー市に近いトーマス・ワージントンの敷地であるアデナの地で、この文化の遺物が発掘されたので、アデナ文化と名付けられた」とオハイオ州の歴史家ジョージ・W・クネッパーは主張しています。 アデナ文化の人々は、カボチャ、ヒマワリ、トウモロコシなどの植物の栽培と狩猟採集によって、より固定され複雑な集落が可能となりました。

 

紀元前100年頃にはアデナ文化にホープウェル文化が加わりました。 ホープウェル文化の人々はアデナ文化の場合と同様にマウンドを造りましたが、 西暦600年頃にオハイオ・バレーから消えてしまいます。 その人々に代わった民族についてはほとんど知られていないそうです。

 

その後、17世紀半ばには起きた伝染病の蔓延と戦争によって、17世紀後半までオハイオ地域にはほとんど人が住まなくなってしまいます。その後主にアルゴンキン語を話す古代人の子孫が戻ってくるようになりました。オハイオ地域の住民は伝染病や戦争などによってもたらされた破壊のために、多民族、多言語の社会となりました。彼等はトウモロコシや豆類などの栽培や狩猟等で生活をしていました。

 

18世紀までにヨーロッパ人が毛皮交易に入ってくることで、より大きな地球規模経済に入っていくことになります。

 

 

---植民地と独立戦争---

 

18世紀には、フランスが地域の毛皮交易を支配するために交易拠点の体系を作り上げました。ヨーロッパでは七年戦争と呼ばれた1753年のフレンチ・インディアン戦争でフランスとイギリスが戦い、1763年に結ばれたパリ条約によって、フランスはオハイオを初め、北西部地域の全体をイギリスに割譲しました。
しかし、ポンティアックの反乱(1760年代)で、イギリスの軍事支配に警鐘が発せられましたが、アメリカ独立戦争における植民地側の勝利によって終わりを迎えます。そして、1783年のパリ条約によりイギリスはオハイオ領土全ての領有権を新生アメリカ合衆国に譲ることになります。

 

 

---オハイオの北西部領土---

 

1787年、アメリカ合衆国は北西部条例により北西部領土を創設します。この北西部領土のなかでは奴隷制度が禁じられました。
アメリカ独立戦争退役兵の集団が設立したオハイオ共同会社による開拓地マリエッタの設立で、開拓が始まります。
その後、マイアミ会社が南西部を領有し、コネチカット土地会社が現在のオハイオ州北東部にあったコネチカット西部保留地の測量を行い入植させました。

1801年12月時点でオハイオの人口はまだ45,000人でしたが、アメリカ合衆国議会は、オハイオの人口が急増している為、州昇格への道を歩み始めたと判断しました(北西部条例では、ある領域の人口が6万人に達すると州として昇格が認められると決められていました。)

 


---州昇格---

 

1803年2月19日に当時の大統領トーマス・ジェファーソンが、オハイオの境界と憲法を承認する法案に署名し、オハイオは17番目のアメリカ合衆国の州に昇格しました。しかし、当時はオハイオの正式な州昇格の宣言がなされなかったため、150年が経過した1953年8月7日に、時の大統領ドワイト・D・アイゼンハワーが署名することによって、改めてオハイオの連邦加盟が1803年3月1日であることが宣言されます。

 

アメリカ人の進出を避けるために多くのインディアンが西方に移住しましたが、州内に留まった者もおり、一部は同化したそうです。

 

その後、オハイオ州からは8人のアメリカ合衆国大統領が選ばれており、「大統領の母」というニックネームをバージニア州と分け合っています。7人の大統領がオハイオ州生まれで、バージニア州の8人に次いでいます。

オハイオの観光地/Sightseeing spot of ohaio

About Ohaio

ohio-114092_1280

 

 

---クヤホガバレー国立公園/Cuyahoga Valley National Park---


クヤホガ・バレー国立公園は、オハイオ州で唯一つの国立公園で、オハイオ州北東部アクロンとクリーヴランドの間にあります。
「クヤホガ」は、モホーク語で「曲がりくねった川」を意味しており、
滝、なだらかに起伏する丘、ゆったり曲がりくねって流れる川の風景が多くの観光客を惹きつけています。
また、公園には多くの動物が棲んでいて、現在では多くのビーバーがこの地域に住んでいます。

 

公園では、観光客向けに美術展覧会、野外コンサート、眺めの良い鉄道ツアーが行われる一方、19世紀と20世紀初期の地球に優しい農業を見ることができます。ブロッサム・ミュージック・センター、ヘイル・ファーム&ビレッジでは1980年代の半ばに、ナショナル・フォーク・フェスティバルが開かれています。

 

---シンシナティ動物園/Cincinnati Zoo & Botanical Garden---


シンシナティ動物園は、1875年に開演されたアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティにある動物園です。

アメリカ合衆国内の動物園としては、2番目に古い動物園です。(最古は1874年7月1日に開園したフィラデルフィア動物園)。

 

---シダーポイント/Cedar Point---


シダーポイントは、オハイオ州エリー郡サンダスキーにあるテーマパークです。年間来園者数は310万人を誇っており、カナダにあるカナダズ・ワンダーランドと並び2番目の16機のローラーコースターが存在しています。

 

アミューズ専門誌アミューズメント・トゥデイでは世界で最高のテーマパーク賞を14年連続で受賞している大変人気のある遊園地です。


開園は5月中旬から10月末までの営業で、それ以外は閉園となっていますので、観光の際は注意が必要です。

オハイオ州立大学(OSU)とは

Ohio State University

seal-89593_1280

 

オハイオ州立大学は、オハイオ州コロンバスのダウンタウンの北約4kmに位置する大学で、学生数は学部生・大学院生合わせて50,000人を超えていおり、全米最大の規模の州立総合大学です。「OSU」と呼ばれる大学は数多くありますが、米国ではオハイオ州立大学のことを指すのが最も一般的です。

オハイオ州立大学の設立

Ohio State University

オハイオ州立大学は1870年にオハイオ農工大学の名前で創立され、コロンバス北端の農場集落の中にありました。現在の「オハイオ州立大学」には1878年に改称され、総合大学となりました。

オハイオ州立大学の設立

Ohio State University

オハイオ州立大学は1870年にオハイオ農工大学の名前で創立され、コロンバス北端の農場集落の中にありました。

現在の「オハイオ州立大学」には1878年に改称され、総合大学となりました。

オハイオ州立大学の学問分野

Ohio State University

オハイオ州立大学は総合大学である為、専攻の幅が広く、あらゆる学問分野において教授陣が充実しています。

 

オハイオ農工大学からの伝統である農学や、大学独自の空港を持つ航空学は特に評価が高い分野として有名です。

 

また、経営学の分野でも(特にロジスティクス研究)全米でも屈指の高い評価を得ており、多数の人材をロジスティクス業界に輩出しています。

TOPへ戻る